2016年12月17日土曜日

クリスマスコンサート

12月18日(日) 望月・多津衛民芸館にて、クリスマスコンサートをさせて頂きます。
ここは望月の町並みが一望でき、趣のある館内はとても落ち着く場所です。
お茶と手作りケーキ付きです。
ぜひ聴きにいらして下さい!

2016年12月5日月曜日

ゴッホとゴーギャン展

11月末に、東京にいる長男と、東京都美術館でやっている、「ゴッホとゴーギャン展」に行ってきました。

現実をみつめ描くゴッホに、想像をひろげ描くゴーギャン。二人は、生い立ちや性格だけでなく、絵画表現も大きく違います。

ゴッホは、より成長するために、画家たちに共同生活をしながら一緒に絵をかかないかと呼びかけますが、応えたのは、ゴーギャンのみでした。

ともに制作し、時には激しい議論を重ねながら刺激しあった共同生活は、約2ヶ月しか続かなかったけれど、確実に二人の人生にとって影響を与えた、そんな関わりのあった二人の作品展は、とても印象に残るものでした。

ゴッホは、精神 を病みピストル自殺をし、ゴーギャンは、純粋なものを求めていったマルキーズ諸島で、その理想にも裏切られたうえ病気に苦しめられ、こじき同然の最後をおくったという、壮絶な一生を送った二人の絵は、全く違って、でも、どちらも惹きつけるものをもっていました。

懸命に生きたあかしである作品たちは、なんか去りづらく、もう一度あいにいきたくています。

ところで、うちの息子は、絵より、まず、そのかざって額縁に目がいくようで、「この絵にこの額はあっている、あっていない、繊細な模様が彫ってあるんだなあ」、とぶつぶつとつぶやかれると、じゃまなことこの上なかったです。

世の中、いろいろなタイプの人間がいる・・・と思った 一日でした。

2016年11月24日木曜日

小平真司 モーツァルトコンチェルト 

11月20日、ホクト文化ホールにて、オーケストラ・ソノーレ長野の第32回定期演奏会での、モーツァルトクラリネットコンチェルトのソリストに、小平さんが招かれ、その演奏会を聴きに行きました。
ソノーレ長野の運営委員長の宮下さんの挨拶文に、小平さんを「数少ないバセットクラリネット奏者で、古楽にも造詣が深い方」と紹介し、「何度も練習に足を運んでくださり、一人一人が主役となって演奏することの大切さ、楽しさを伝えてくださいました」ということが書かれていましたが、まさにそれを感じさせてくれる演奏でした!

モーツァルトの音楽が、今この瞬間を生きているごとく生き生きと、それもみんなが一丸となって表現されてくる様に、感動さ え覚えました!
また、会場からのアンコールに応えた、チャルダッシュの演奏も、ばっちりキマリ、会場は、大喜びでした。

コンチェルトが終わって、休憩に入ったところで、お隣の老夫婦が、「楽しかったね!」と話している光景にふれ、幸せを感じました。

山口直美

2016年11月1日火曜日

ありがとうございました!

10月29日、なんだ館、30日、大門ホールにての、クラシック・ア・ゴーゴー、無事終了いたしました!

変わった編成による、ちょっと変わった楽しいコンサートとなりました!

ご来場、いただいた方々、誠にありがとうございました!

2016年10月8日土曜日

クラシック・ア・ゴーゴー

10月29日、佐久市のなんだ館、10月30日、長野市の竹風堂 大門ホールで、クラシック・ア・ゴーゴーを開催します!

ムージカ・エマセネポーならではの、どこをとっても"楽しみどころ"なコンサートです!

全員でお届けするパンチのきいた「リベルタンゴ」や「剣の舞」、また、一人でじっくりときかせるギターソロによる「カヴァティーナ」、シューマンが妻にむけて贈った「3つの
ロマンス」、天上の音楽といわれるモーツァルトのクラリネット協奏曲より第2楽章などなど、バラエティーにとんだプログラムです!

佐久、長野のどちらも、1:30開場、2:00開演となっております。

長野市大門ホールでは、 1:00〜1:25に、小さいお子様も気軽に楽しめるミニサイズのコンサートもご用意しております。

是非、おでかけください!

2016年9月9日金曜日

想像力

先日、新聞で政治学者が、想像力の必要性を語っているのを読み、政治の世界でもそうなのか!と思いましたが、
その想像力のすばらしさを感じたのが、8月に佐久市で開催されたキッズ・サーキットに参加したときでした。

キッズ・サーキットは、3日間に、佐久市の7カ所の会場をつかって、24の舞台を提供するもので、
1500円のパスポートで、みたいものがみれるというものです。
演劇、音楽、人形劇、ミュージカル、サーカス、日本の伝統歌舞など、いろいろな分野が提供されていました。

私は、子供達にとって文化・芸術とは、どんな意味があるのか、どういうものが価値あるものなのか、感じてみたくて、
キッズでないのに、参加させてもらい、8公演、観てみました。

そこで感じたことが、想像力のすばらしさ、必要性でした!

私は今まで音楽という分野にかたよりがちでしたが、かえって他の分野の方が、そのことがみえやすく、
提供する側は、幅ひろい視野をもっていないといけないなと思いました。

子供達に文化・芸術は必要である と確信し、よりよい世の中であるために、大人ががんばらなくてはと思いました。

山口直美

2016年6月29日水曜日

ひとり芝居

先日、はじめて一人芝居というものを、観にいきました。

大正、昭和、平成と生きてきた、95歳の人情味にあふれたおじいちゃんの生き様を笑いのなかで描くことで、人とどうかかわるべきか、どう生きるべきかみたいなものに、視点をむけさせるものでした。
人情味あふれたキャラにありがちな自己陶酔的、女も大好き、ちょっとうざいけど憎めないという世界をみせることで、私の中にしっかりと残った感覚は、以外な事に、その人物像とは反対の、爽やか感や、すがすがしさでした。

風間杜夫のプロの仕事ぶり、かっこよかったです!

文化、芸能、芸術というジャンルの価値を認識させてもらい、私も頑張らなくてはと思いました。

山口直美

素敵な記事をみつけました!

是非、紹介したい記事をみつけましたので、ご紹介します。
長いですが、おつきあいください。山口直美


 ヴァイオリニストであり教育者の森悠子さんを音楽監督に活動する、 「長岡京室内アンサンブル」その名の通り、拠点は京都府・長岡京市。 この楽団に指揮者は存在せず、メンバーも流動的に入れ替わっていく。 技術、想像力、緊張感、コミュニケーション……
そうして構築されていく素晴らしく刺激的な音楽に出会った、写真家の大森克己さん。   
「音楽は、ことばである」  その意味を体感すべく、この音楽が生まれる現場へ。 彼・彼女たちが、長岡京から世界に向けて 音楽を生み出す時間を記録していきます。
  
  

 
森悠子さんは教育哲学者・ 森 昭の3人姉妹の次女として、大阪府高槻市に生まれた。父を慕って集まってくる同僚や教え子たちが、いつも家の中で笑い声やユーモアとともに議論を交わしていたという自由闊達な環境のなか、6歳からヴァイオリンを習いはじめる。その後、桐朋学園に進学し齋藤秀雄に師事。森さんが在学当時の桐朋学園は「同級生には、中村紘子さん、岩崎洸さん、木村俊光さんがいて、二年先輩に堤剛さん、一年先輩に前橋汀子さん(中略)高校一年生のときからプロの音楽家、そういう人たちが桐朋学園には集まっていた」(「ヴァイオリニスト 空に飛びたくて」春秋社刊より)
みんな、とてつもない才能を持った若い音楽家たちだ。そんな競争の激しい集団のなかで森さんは何を考えていたのか? いま森さん自身が教えている学生たちの年頃、そして本格的にヨーロッパで活動を開始した20代後半の頃、一体どんなことを感じながら日々を送っていたのか?  そして音楽を学ぶということは一体どういうことなのか。「長岡京室内アンサンブル」が奏でる音により深く近づくためにも確かめたいことがたくさんあった。そんな思いをもってインタヴューをお願いしたところ、快く応じて下さった。(2016年5月3日 AUX BACCHANALES 京都にて )
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1974年 パイヤール室内管弦楽団 ジャン=フランソワ・パイヤール(中央)森さん(左から3人目)
 
 
森(以下M)「高校1年生の時から、左手の運指(楽器を演奏するときの指使い)、動きの研究を一生懸命にやって、19歳のころまでに、かなり自分の中でロジカルに出来上がっていたのね。で、ある時、エルンストのエチュードを無理して弾いて腱鞘炎になって、整体の野口晴哉先生に出会って治癒したという経験があってね。心、精神も含めた身体ぜんたいの動きを整えるということが演奏にとって大切なんだ、ということに気がついて、整体協会に通いながら身体機能についての研究をやっていたのよ」
 
「いろいろな実験 --右の耳に耳栓をしたまま自分が弾く音を左だけの耳で聴いたり、片足で立って弾くことをしたり、さまざまな動作を駆使して試してみた。足の位置が演奏上きわめて重要だとわかったのは、この時である。ヴァイオリンを弾く姿勢で片足を椅子に乗せる。さまざまな角度で足を置き弾いてみる。足を離すとどうなるか……そのようにして、音がどう発せられているかを意識しながら続け、丹田で弾けるところを見きわめるまで試していく」(前掲書より)
 
大森(以下O)「レッスンやリハの時、上手くいかない時に、森さんは必ず、身体の使い方をチェックされますが、そこから来ているんですね」
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2016年2月5日 長岡京記念文化会館 モーツァルト「音楽の冗談」のリハーサル。カデンツァを弾く森さん。
 
O「1970年に日本での活動をいったんリセットされて、留学される訳ですが、何故、ヨーロッパに行こうと思われたのですか?」
 
M「まず一つにはチェコ出身のマリア・ホロニョーバ先生との出会いがありました。自分自身が、どういう方向に進んでいけば良いのかとても悩んでいた時に、東京藝大に先生がいらっしゃることを聞いて、レッスンを受けにいったのね。そうしたら、彼女がプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番の冒頭のたった2フレーズ、4つの音を弾いただけで、自分が子どもの頃、ただただ楽しい! ってヴァイオリンを弾いていたことを、思い出させてくれました。技術の向こう側にある演奏の自由を感じたんですね」
 
O「悩んでいた、っていうのは?」
 
M「卒業したあと、齋藤秀雄先生の助手をつとめながら、桐朋学園子供教室オーケストラ、広島での音楽教室での指導、そして自分のコンサート活動に走り回っていたのね。そんな忙しい、追われる日々の中で、小さな経験と勘だけで演奏し、生徒を教えている自分自身の在り方に不安を感じるようになっていきました。それと、コンクール至上主義の日本の音楽教育システムの在り方にも、これでほんとうにいいのか?って思うようになっていました」
 
O「なるほど」
広島でのレッスン指導。左から2人目が森悠子さん。右端でチェロを弾いているのが齋藤秀雄先生。
 
M「それで、私の世代はみんなアメリカ(NY のジュリアード音楽院)に留学したんです。私も3回ほど奨学金をとれていたんだけど、全部断ったの。アメリカに行ったら自分が潰れると本能的に感じたんです。知識なんてゼロだったけど。それはね、直感。もちろん、プラハのホロニョーバ先生との出会いがあって、彼女の元でセヴシックのボウイング技法を学びたいという希望はあったわよ。でもそれだけじゃなくて、いきなりパリに行くのではなく、ヨーロッパでの暮らしをプラハで始めたということは、とっても大切でした。そこからフランスを、ヨーロッパを見たということ」
 
O「森さんが渡欧する2年前、1968年には世界中で学生運動の嵐が吹き荒れて、プラハはある意味でその中心の一つだった(プラハの春、そしてソ連軍によるその鎮圧)訳ですが、そのことは渡欧される前にはご存知だったのですか?」
 
M「ほとんど知らなかったの(笑)だからね、私はプラハでヴァイオリン演奏の原点に立ち返って学び始めたんだけれども、生きることそのもの、人間そのものを理解するということの原点もそこにあるんです」
「70年のプラハの状況があって、食料もほんとにわずか。市民たちには配給の食券が出て、パンや卵の数も決められていて。そういう社会に入っていった。そこで私はたくさんのことを学んだと思うんですけど、彼らは自由が無い政治体制の中でものすごく圧迫されて生きていた。でも人間は自由を求めますよね。どこに自由を求めたかというと、心の奥の奥の奥の底に求めた。心の中が自由になっていく人たちばかりだった。きたなーいカーキ色の洋服を着ているんだけど、心にものすごく豊かなものがある。そういう人たちに囲まれて、人間の本当の自由って心の中なんだと学ぶんです。外見の話じゃないのね」
 
「南ボヘミアの田舎に、父の友人の哲学者が家を持っていて、週末にそこに連れていってもらって。もう一面お花畑なんです。そこに行くまでにさくらんぼの木があって、さくらんぼ取り放題でおいしいんですよ(笑)。木によじのぼって。あれには助けられましたね。そういう心の自由、行動の自由、ボヘミアに毎週行っているうちに、今までの自分はこだわりと、衒い、気取りとか競争とか、そういう垢がいっぱいくっついちゃって、私は日本で何をしてきたんだろう、何を教わってきたんだろうって。一体何者なんだって思う日がきて。そういう心の汚れがぜーんぶ、バタバタバタバターって落ちていく日があったんです。音を立てて落ちていくんですよね、本当に。そのときに自分の心の中にブラーム スの交響曲第2番があふれるように響いてきたことをね、もうしっかりと覚えています」
 
Josef Koudelka の写真集 " EXILES " ( THAMES AND HUDSON ) の最初の写真。1968年8月 大規模なデモが予定されていたが、ソ連軍を挑発して流血の事態にいたるのを避けるため市民が自主的にデモを取り止めた人通りの無いプラハ市内、ヴァーツラフ広場。クーデルカは通りすがりの人の腕時計越しに広場の様子をとらえた。
 
 
O「森さん、このヨーゼフ・クーデルカって云う写真家をご存知ですか?68年のプラハの動乱や、ジプシーの写真を撮影しているマグナムの写真家です」
 
写真集のページをめくりながら、
 
M「あーっ、このすぐ近くに私、住んでいたの」
 
ジプシーの楽団の写真を見ながら「見て、この人たちの顔! 暗いようでいて、明るいようでいて、暗い。こういう顔の演奏家になれたら良いんだけどね。外から見えない部分に奥行きがあるんですよね」
 
O「ブラームスやバルトークが影響を受けた東欧の民族音楽って、こういう人たちのものだった訳ですよね」
クーデルカが撮影したジプシーの楽団(東京国立近代美術館「ジョセフ・クーデルカ展 」カタログ)
 
そして、プラハを後にした森さんはパリで音楽活動を始めることになる。
 
M「パリ祭の日に友達と出かけていったら街中が車だらけで駐車する場所がなくて、その友達はシトロエンの2CVという車を見定めて自分が横につけて、その車を動かそうとしたの。そうしたら10人くらいの男の人たちが一緒によいしょよいしょと手伝ってくれて2CV を歩道にのせて、彼がその空いたスペースにパーキングしたんです。私、この人たちってなんだろう! と思ったの。無償の手伝いを。他の国だったらそうはいかない。規則はあるんだけど規則はない、という国民性にびっくりして。あれから、そういう目線でフランスを見るようになったんです。日本じゃありえない。固定観念がなくて一致団結できる。自分たちの気持ちさえあればね。そういう場面がいくつかあったんです。教会のミサでオルガンの音程に合わせて演奏することも、そういうことの一つでした」
 
O「それは、どういうことですか?」
 
M「パリに着いたばかりのころ、毎日曜日、フォンテンブローの教会のミサでヴァイオリンを弾くアルバイトをするようになったんだけど、それがカルチャーショックでね。そこで演奏される音程は教会に据え付けのオルガンが基準になるから、いま標準ピッチとされている音程よりも、半音低いのよ。ラの音がソのシャープに聴こえてしまう訳です。A=442Hz という絶対音でドレミを習得してきて、それに慣れ切っているから、ほんとうに戸惑うのね。現場での柔軟な対応がいかに大切か、っていうこと」
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1970年パリにて。
 
フランスでの森さんは、パリでヴァイオリニスト、ミシェル・オークレールに師事後、ノルマンディーのカンを皮切りに、1972年以降、様々な室内楽団、オーケストラで働くようになる。そして練習、コンサート、レコーディングという実践の中で、アンサンブルとは何か? 音楽を作る"音"というのは何だろうと問いかける日々が続いていた。
 
森さんがフランスで活動し始めた70年代。クラシック音楽業界とオーケストラは大ホールのたくさんの聴衆にむけて、そして、発達した録音技術を駆使してマスに訴えかけるために、どんどん巨大化し、ヴィブラートで甘く色づけされた「ロマンティック」な音楽を大量生産するピークにあった、ともいえます。そこに一石を投じる形で登場したのが「音楽が作曲された時代の楽器(オリジナル楽器、ピリオド楽器)や様式で演奏してみよう」という試み、一般的には「古楽ムーブメント」と呼ばれるものでした。そしてモーツァルト(1756~1791)やベートーベン(1770~1827)以前のバロック音楽がどのようなものであったのかを改めて見直す動きが、とても盛んになっていたのです。それは、単に古いものに対 するノスタルジックな憧れというものとは違って、作曲者が音楽や自筆の楽譜に込めた意図を根源的なところに遡って検討してみよう、という音楽に対する知的で真摯なアプローチでもありました。フランスにもピリオド楽器を使ってバロック音楽の新しい解釈、演奏に挑戦しようとする野心的な楽団がたくさん生まれていました。
 
70年代前半、森さんが在籍していた楽団の一つ、ジャン=クロード・マルゴワール率いる、ラ・グランド・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワ(王室大厩舎・王宮付楽団)で、森さんは古楽との決定的な出会いをはたします。ある日、団長のマルゴワールが「きょうからこれに切りかえる」と自分たちの演奏をすべてピリオド楽器でやっていくことを宣言したのです。団員の中にはそれでやめてしまう人もいたそうです。
 
M「最初はそりゃあ、びっくりですよ。だってピリオド楽器なんて触ったこと無いんだもの。でもね、プロとしてやっていく、ということは上手に弾くっていうことじゃないの。そうではなくて、今まで誰もやったことが無いことをやるということ。それに、私は食べて行かなきゃならなかったからね、辞める訳にいかないでしょ。レコード会社も新しい音を求めていましたから。研究しているうちに、自分自身がどんどんピリオド楽器に魅せられていったのね」
 
「ルーブル美術館でバロックやロココの楽器が描かれている絵画を見て、あーでもない、こーでもないって試したわ」
 
再び、クーデルカのジプシーの楽団の写真を見ながら「ほら、これかなりバロックに近い。顎あて、肩あてが無いでしょ。構え方が、モダン楽器と全然違うの。ギターの様な構え方。構え方によって響きも全然違う。シフティング(左手の運指)も難しかった、顎あてが無いから、上っていけるけれども、下がれない。どういう風に下りていけばいいのか。こういうことは、どこの学校でも学べない。食べていくため、生きていくために必死でやっていましたよ」
 
M「私がいまね、松崎くんなんかに、時々『雑音』を出させるのも、フランス時代のバロック研究があるからこそ。フランス人は挑戦していた。綺麗な音だけじゃなくて、『雑音』の中にもさまざまな響きがあるの」
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2016年2月5日 長岡京記念文化会館。
 
 
「バロック音楽、バロック・オペラの中には必ずバレエのシーンがあります。ガボット、メヌエット、ジーグ、パッサカリア、、、。つまりダンス・ミュージックっていうことなのよ。クラシック音楽にダンス・ミュージックっていう側面があることを絶対に忘れちゃダメなんです」
 
「それと即興の要素も」
 
バロックの話から、森さんの話は縦横無尽に広がり、日本の音楽教育の話にもおよぶ。
 
「日本の音楽家は速度を変えられない人が多すぎる」
 
カンカンカンカンっ! と乱暴に机を叩きながら、
 
「こうやって、指揮者、指導者が叩いてしまうから。一小節に何拍って決めて機械的に軍隊のようにやってしまう。そうしないと遅いリズムの曲を演奏できないのね。だから音と音の隙間が無いし、色彩感も無いの」
 
「悲しいくらいに同じ速度。アクセルが踏めない、ブレーキも時には必要、つまり運転能力が無い、ということなのね。それじゃあ、創造の外でしょ。コメット(彗星)のしっぽがあるような音が弾けないの。一音でも全弓を使えなきゃいけないのよ」
 
「音と音の間、間感って音楽にとってとても大切なものなんです。アイデアが教育の中に無いのね。扇風機の風は同じ速度だけれども、自然の風は常に変化しているでしょ。水の流れも速かったり、遅かったりする、すべてはそうであって、それが音楽なのね」
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2016年2月4日村田製作所セミナーハウスでのリハーサル。
 
「教育の中でいったん統一して押し付けてしまうと、なかなか心を鬼にしないと変えるのは難しいんです。(教える側も、教えられる側も)一度出来てしまうと、安心して同じ事を繰り返してしまう。音楽家に、安定、安心っていうものをもたらしてしまうと、それはアートではなくなってしまいます。それなら古い同じレコードを聴いていればいいじゃない?」
 
「フランスの音楽、イタリアの音楽、ドイツの音楽、どれも特徴はあるけれど、みんなつながっているのよ。モーツァルトも旅をしたでしょ?」
1975年頃、パリ郊外にて。当時の愛車と森さん。
 
「旅をして、たくさんおしゃべりしないといけない。日本の若い子、特に男の子はおしゃべりが下手でしょ。無駄話がいっぱいあるはずなのに声を出さない。その無駄の中にこそ、いろいろあるのに。タガの無い人が増えるべきよね」
 
インタヴューを終え、帰り支度をしようとずるボクに、ふと何かを思い出したように森さんがまた話しをしてくれる。その時の森さんは、あのクーデルカの写真の中のジプシーのような「暗いようでいて、明るいようでいて、暗い」なんともいえない表情をしていた。
 
「自分は教師として、まだまだダメだと思いますよ。何故かっていうと、他人の身体は、私の身体とは違うんだもの。身体って、聴覚、視覚、味覚、いろいろあるでしょ? 『他人の身体』という境界線をまたいでしまって良いのか? そこを越えてしまうと、その人の個性をつぶしてしまう。だからレッスンしながら、教えながらいつも苦しんでいます。ただね、こちらの失敗も、向こうの失敗も『味わい』になったりもするからね。マニュアルを作って教育するのも一つのテクニックではあるけれども、私には出来ない、分からないの」
 
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2016年2月5日 「おもちゃのシンフォニー」リハーサル直後。長岡京記念文化会館。
 
題字・吉田勝信 

2016年6月1日水曜日

ホテルサイプレス フルート演奏日程

6月のホテルサイプレスでのフルート演奏日程のお知らせです。

2,5,7,10,13,16,20,24,27,30日です。
時間は、19時30分〜19時50分、20時20分〜20時40分に演奏しております。
フルートの音色を聴きたい方、おいでください。

なお、サイプレスでは、毎日演奏が入っております。他の日は、ピアノ、クラリネット、ヴァイオリン、オーボエなどが演奏していますので、いつでもお楽しみいただけますので、お出かけ下さい。

2016年5月27日金曜日

小平真司 DisCover! ~あたらしい“今”が始まる!!~

“ムージカ・エマセネポーコンサートシリーズ2016”第一弾!!

今回のコンサートは、驚きと発見に溢れたコンサートです!
皆さんの毎日の生活が少~しだけ楽しくなるきっかけになりますよ!!

いつものようにトークと演奏が一つになったアットホームなコンサートに、今回は“リベナトゥーラ♪カルテット”もゲスト出演します!

ぜひ皆様で、“たくさんの発見をする準備をして”お出かけください!!




ムージカ・エマセネポーコンサートシリーズ2016
小平真司 DisCover!~あたらしい“今”が始まる!!~

625() 14:00開演 13:30開場
なんだ館(佐久市岩村田2329-1  0267-88-5010)

一般2,500(当日3000)/高校生以下1,000(当日1500)
プレイガイド  ヒオキ楽器佐久平店:0267-68-7703 なんだ館:0267-88-5010

~プログラム~
・ルフェーブル/クラリネットソナタ第1番
・ムージカ・エマセネポーのファンタイム!!とっておきの演奏の数々!!
・モーツァルト/クラリネット五重奏
※プログラム等は変更になる場合がございます。
あらかじめご了承ください。

~出演~
小平真司(クラリネット)
ムージカ・エマセネポー
斎藤明子(10弦ギター)
山口直美(フルート)、横山晴子(パーカッション)
リベナトゥーラ♪カルテット(ゲスト出演)
新津裕子、小平久美(ヴァイオリン)
吉牟田直子(ヴィオラ)、俣平釉季(チェロ)